ゲームとスマホゲームと教育の話
どうも、ゲームは好きだが腕は無い、さいえんすふぃくしょん。です。
ゲーム好きなんですけど、みんながやるゲームからは趣味嗜好がちょっとずれてて、メジャーなタイトルでは全然みんなに追いつけないのが私です。マニアってわけではないんですがね……。
この間、医療関係の知り合いの方と話していると、医師が主催する医師向けの勉強会で「ゲームは悪である理論」がテーマで、参加した先生は納得したという話題になりました。
なんでも、「ゲームはもともと軍人がためらいなく敵兵を殺害するためのシミュレーションから生まれている。統計によると、スマホゲームを行ったグループは行っていないグループに比べ、短い勉強時間で好成績を残した。半面、スマホゲームをしたグループは成績が同年代平均よりも悪かった。この実験データから、ゲームは知能発達の面で悪影響である。」というのが主催者側の講演内容だったようです。
むむっ、それは聞き捨てならないなっ、と思いましたので、下手くそなりにこの「ゲームは絶対悪である理論」に反論してみたいと思います。
ゲームって何さ
まず、ここでやり玉に挙げられている「ゲーム」とは何かについて考えたいと思います。
「軍事シミュレーションから派生して誕生した。」と言われていますので、おそらくは、ビデオゲーム・コンピュータゲームの類であると推測できます。よって、トランプなどのカードゲームや、TRPGなどを含むボードゲームは、ここでは対象外と考えます。
また、軍事シミュレーションに対して主催者は悪いレッテル貼りを行っていますから、ゲームの中でも残虐な行為を伴う過激なものを念頭に置いている節があります。
たとえば、グランドセフトオートシリーズなどの作中で犯罪を行うもの、CODシリーズのようなFPSで、おもに標的が人間であるもの、などでしょうか。そういった過激なゲームを念頭におそらく話が進められているのだと思います。よって、マリオだとかテトリスのようなおよそ平和なゲーム*1ではなく、過激なビデオゲームや、実験で使われているスマホゲームに絞って話を進めていきます。
ゲームの構造
一般的に、ゲームの構造はどのようになっているのでしょうか。いえ、プログラムをエディタで打って~とかグラフィックデザインが~というような話ではなく……。
基本的に、ゲームは、プレイしてもらう前提ですのでプレイヤーを飽きさせないように御膳立てを積み重ねる形でデザインされていることが多いです。
たとえば、RPGなどでは最初の敵ほど弱く、倒すとご褒美に経験値とその他報酬が手に入る。そして、徐々に敵のレベルが(基本的にプレイヤー優位な形で)上がっていき最後はシナリオのボスを撃破して、称賛される。このような形が王道だと思います。
この構造は、人間の脳の報酬系のプロセスと似ています。私は脳科学なんて齧ったこともない素人ですから、専門的なものは全く分かりませんが、ようは、ある行動を反復継続しやすくなるための仕組みが整えられているということです。
最初はご褒美目当てだったのが、気付けば用意された関門を超えたときの達成感がたまらなくなっていて、どんどん続けたくなる。そんな感じでしょうか。
この仕組み自体には、善も悪もありません。なぜなら、人間が社会で行動するうえで、必ず使う仕組みだからです。最初は給料のためだったのが次第に仕事が面白くなってきて~とか、最初は何気なく走っていただけだったけど、マラソン大会に出るようになってからはどんどん熱中して~とか。いくらでも例が思いつきますよね。
ただ、ゲームの場合は、現実世界の物事に比べて、報酬までの難関が小さく設定されています。これは、ゲームをプレイしてもらわなければならないためです。
時折聞く、ゲームに熱中して他のことはしたくない、といった問題は、この構造が原因であるかもしれません。ゲームの達成感を容易に感じられるがために、社会において達成感を感じる前に辛さなどの要因から辞めてしまう。もしくは、社会で認められないからゲームに居場所を求める、そんな状況に陥ってしまっている可能性があります。
こうした文脈においては、ゲームの悪い側面があらわになっているとといえましょう。
スマホゲームの構造
通常のゲームの構造と同様に、スマホゲームにも同じ構造が存在します。ただ、厄介なのは、スマホゲームにはギャンブルと同じシステムが導入されている場合があるということです。
いわゆる、ガチャですね。基本無料をうたうことが多いスマホゲームにおいて、このガチャは、様々な闇を生み出してきました。*2
ガチャの仕様はゲームによっても異なるので一概には言えませんが、基本的には、次の通りです。
① ガチャに必要なゲーム内通貨のようなものが存在する(無料で手に入るものと、有料で買うものが区別されていることが多い)。
② ガチャは、文字通りガチャガチャと同様にくじなので、アイテムやキャラクターが手に入るかどうかは確率次第(レアキャラはたいていが極低確率)。
③ レアキャラの性能は、ノーマルよりも高いことがほとんど。また、レアキャラは容姿面でも優遇されており、ノーマルキャラよりも仕様が豪華なことがある。
④ レアキャラを手に入れるためにガチャを何度も回すも、ゲーム内通貨の枯渇。
⑤ レアキャラがガチャから手に入れられる期限が存在し、逃すと手に入らない(または、手に入れるために苦労を要する)ことが多い。
⑥ 課金でくじの回数を増やす。以後泥沼化。
これは、完全にギャンブルの構造と同じです。宝くじで例えれば、あたるまでくじを買う、ということですし、競馬で例えれば、当たればデカいが外れればすかんぴん。
このような構造を持つということは、心配なのが依存症。なんにでも依存症というものは存在しうるのですが、ギャンブルのこの構造はたちが悪いのです。
なぜならば、人間の脳は、期待感に酔うことができるからです。ギャンブルで外れたときの脳の状態は、ギャンブルで当たったときと同様にドーパミンが放出されているといいます。すなわち、当たっても外れても先ほどのRPGの例のご褒美がもらえていることになるわけです。
となれば、反復継続のシステムに乗っかって、どんどんとガチャに邁進し、自ら依存症へと突き進んでいくことになるのです。
皆さんの周りにいらっしゃいませんか?スマホゲームに何万円もつぎ込んで一喜一憂している方が……。
ゲームが悪い論の変な点
ここまで書いていくと、ゲームはやっぱり子供の教育上悪いんじゃないの?と一見思えてしまいます。というか、悪い側面は、確実にあるでしょう。
子供の頃というのは、毎日目まぐるしく成長する大切な時期です。その中でゲームの世界にのめりこみすぎてしまったり、ガチャにはまりすぎたりして魔の依存症に落ちていくのは、確実に教育に悪影響であるといわざるを得ません。
しかしながら、それでも私は「ゲームが悪い論」はおかしいと思います。なぜならば、たいていのゲームが悪い論はオールオアナッシングの極端な構成となっているからです。
上記の医師のセミナでも、「軍事シミュレーションの一環でためらいなく人を殺害することができるようになる」ということがゲームが悪い根拠の一つとなっていました。
これは果たしてそうなのでしょうか。
答えは否です。
この記事によれば、ゲームが人間の暴力性を助長しないという研究結果が出たということです。
これは、私には当然のことに思えます。
残虐なゲームのプレイヤーだって、フィクションをフィクションと認識してプレイしているハズだからです。なぜそのようなことが推測できるかというと、もしもフィクションを現実と混同する人間が多数いたならば、現実社会において殺人事件や暴力事件などの粗暴犯が多数発生しているハズです。現実とフィクションの区別がつかないのだから、現実でゲームの世界と同じように暴れまわり、事件を起こすのが道理です。しかし、少なくとも日本国内では殺人事件などは減少傾向にあるのです。
現実社会でそういった大規模な犯罪行為に走っていないことから考えると、考えうるのは二つです。
ひとつは、「犯罪者予備軍とでもいうべき危険なゲーマー」なるものがたまたま、ゲームに夢中で犯罪を起こしていないという説。そしてもう一つは、そんなものはそもそも存在しないという説です。
つまり、「現実とゲームの区別がつかなくなる」というのは、間違いであるということです。大多数の人は、これはフィクションなのだ、と知っているからこそ、出来ないことをゲームの中でしているのではないでしょうか。
それは、まるでフィクションだと知りながらおとぎ話のテーマパークに出かけていくかのような一時的な没入感を求める行動なのだと思います。
もちろん、現実とフィクションの区別がつかない人間も、一定数いるでしょう。しかし、それはゲームやフィクションのせいでなく、不運にして生育環境が悪かったなど別の要因でそうなったのであり、そのような人は、ごく少数であるはずです。
ゲームって特別悪いか?
以上で述べた通り、ゲームには、悪い側面が確かにあります。でもそれは、何もゲームに特有の問題点であるとは言えないのではないでしょうか。
たとえば、スマホゲームも悪い点は、大多数のギャンブルに共通します。また、ゲームの達成感のシステムは、ゲーム以外の趣味でも当てはまります。スポーツなど典型的ですよね。
これらも同じ問題を抱えているにもかかわらず、全否定されているでしょうか。
そんなわけありませんよね。
例えばギャンブルは成人するまでできないなどの対策が取られています。ギャンブルで依存症になる人もいれば、節度をもって楽しんでいる人もいるのです。
結局は、付き合い方の問題なのであって、全否定する必要などどこにもないのです。
具体的な対策が重要
では、どのようにすべきであるのか、考えていきたいと思います。一つ予防線を張らせてもらうと、私は専門家でも何でもないので、戯言程度にとどめてくださいね。
ゲームの達成感で現実の達成感を感じられなくなる恐れがあるという問題には、現実である程度の達成感を感じる年齢までゲームに触れさせない、という対策が考えられます。
具体的には、どうでしょう。小学生や中学生くらいになれば、達成感覚を現実で覚える機会もあるでしょうか。しかし、具体的にいつごろからゲームと触れ合うかというのは、やはり個人差がありうると思うので、自分の子供が十分に社会で課題をクリアすることに達成感を覚えるのを確認してからのほうが良いかもしれないですね。
そして、スマホゲームのガチャについては、大人でも抜け出すのが難しい人がいる、ギャンブルと同等のものであると考えると、少なくともお金の大切さや、お金の価値観を育むことができるまでは、触れないほうが安全かもしれません。
もちろん、ギャンブルと同様の構造なのだ、と理解し、ある程度のルール(月に何円まで課金してもよい)などにきちんと従えるのならば、問題ないでしょう。
少なくとも、それまでは、スマホゲームではなく通常のRPGぐらいがちょうどよいのではないかと私は思います。*3
結論
ゲームは、節度を守って楽しむためにやりましょう!
どんな趣味でもそうですが、趣味のために身体や精神、家計を傾けてたら世話ありません(プレバン地獄の注文履歴から目をそらしつつ)。
節度さえ守ってしまえば、めくるめく名作が、かぐわしいクソゲーが、人生を豊かにしてくれることだってあるのです。
絶対悪だぁ!と固く考えずに、付き合い方を考えましょう、って話でした。